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2012.02.25 Saturday

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2012.02.25 Saturday

■ゆとり世代である私たちの未来は・・・

■はじめに・・・ゆとり世代である私からみる、「ゆとり世代」をわかっていただけたらと思います。

■今日記事で見た、日本数学会の「大学生数学基本調査」によると、ゆとり世代である大学生の4人に1人は「平均」の意味を正しく理解していない。という結果が出たそうだ。
"http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E0E6E2E0E68DE0E6E2E0E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;at=DGXZZO0195592008122009000000" ←日経の記事より
"大学生4人に1人、「平均」の意味理解せず日本数学会 中央値や最頻値との誤解めだつ "
 ゆとり世代というのはもはやインターネット上では差別用語のようなもので大人(成人(大卒人))は学力の低下した層というステレオタイプが大分浸透している。
いろいろtwitterでの反応を見ると、ゆとり世代である私たちは社会に進出する前から社会に期待されてないという見方が結構見られた(大人は)。本当になめられた世代だな。とも思うし、私はどうして良いかわからない。
あからさまに私たちの世代を批判されても、私たちが望んでしたことでない。文部科学省の教育プログラムにしたがった結果である。もちろん、富裕層ならばより充実した教育を受けられるが、貧困層(中流家庭もそうではないか・・・)はどうするのかというところが疑問だ。
(この前、テレビで紹介されていた私立の小学校の教育プログラムは非常に実践的でこのころから論理的思考を身につけるという教育がなされていた。小学生のころから私立に生かせるような家は間違いなく、裕福に違いないだろう。しかし、大部分の人が小学、中学までは公立である。つまり、大部分は国の教育プログラムで育ってきたと言うことである。)
 そして、2012年度からは「新学習要領」という新しい教育プログラムが始まり、ゆとり世代では学ばなかった内容も復活する。私たちはより「失われた世代」として世間は見るかもしれない。この「新学習要領」でどれほど、学生の基礎知識(学力)レベルが向上するかはわからない。
 
 本題に戻ろう。ゆとり世代である私たちはどうすればよいのか?もう、批判する人に耳を傾けて、「じゃあ、そういうのを生んだ世代が悪い!!」という議論はもう時間の無駄としか言いようがない。現実を受け止めて、もう一度学習することの意義を再確認し、前進することが最大の社会への勤めなのではないか・・・受験のための勉強という意識を植え付けることなく・・・という飛んだ事を言っても、ダメだ。もっと現実的に言えば、「基礎知識(学力)レベル」の向上が課題であると私は思う。東大・京大生でも、そういうことは稀にあるのだから・・・
もちろん、個人だけの問題でなく、初等教育、中等教育の教育現場の改善は強いられるべきだとも当然思う。

*上述したようなことを言える立場でないが、思ったことは述べた方が良いと思いこの記事を書きました。

□ゆとり叩きという言葉を最近よく聞く。「学力調査でx%の人がなんとかだった。」という記事をこれほど目にするのは確かに異常なほどである。だから、これらの記事は「ゆとり叩き」と呼ばれるそうだ。「これは確かな情報なのか?」「統計学的に正確なのであるか?」など様々な声が上がっている。
しかし、私は画面上(記事上)の情報を鵜呑みにしやすいタイプで、いつもたくさんのtwitterの反応を見て、ようやく自分の意見を持つことにより防いでいる。
 

2011.10.09 Sunday

■あれから・・・

■前回の投稿から猛勉強とは言いがたいが勉強に対してより熱心になったとは思う。最近気持ちの揺らぎがまた出てきてモチベーションが下がってきている。国公立・私大2次の模試を受けた。偏差値は上がっていてうれしかった。でもアレだけやった数学がなかなか伸びなくて悩んでいる。結構ハイレベルな数学の問題集を使っているのだが、2次の問題を見ると何か別の問題を解いているような感じになる。なぜかと言うと、問題の形式と解法を丸暗記しているだけなのではないかと思うようになった。だから終わってから模試の解答を見ると解法は今までやってきたことと同じことをしている。これは要するに問題の文章の読解力が欠けていると言えるのではないのだろうか。物理も同じ事が言えるかもしれない。では、読解力を上げるには何をすればよいか?思った。単に本を読む(いわゆるインプット)のでなく、それを自分なりに書いたり人に説明すること(いわゆるアウトプット)が必要なのかと思う。これがトレーニングになると思った。
あの池上彰さんも同じようなことを言っていた。「説明できなければそれは理解しているとは言えない。」のようなことを言っていた。まさにそうなのだなと思った。
■今まで、どんな教育を受けたかによって左右されてくる。でも、なってしまって戻れないことに関していちいち言い訳を言うようなことを自分はしない。親を攻めたりとかなんてしない。なぜなら、親の責任にして言い訳をしている見本がすぐそこにいるわけだから・・・父親のような人には絶対になりたくない。子は父に似るなんてことにならないように必死に努力しなければならない。

書くことが思いつかなくなったからここあたりで終わります。
今日は主に、読解力を上げるには?と自分の過去について攻めない。という二つの話をしました。

2011.08.18 Thursday

■受験勉強は高校生活においての大きな青春ともいえる。受験生として今を生きている。

(■眠れないので、書いてしまおう。)
■逃げたくなる、でも逃げたら駄目。そんな境遇に多くの人が感じるであろう。高学歴を考えたりすると、コレではいかん!!と思い一時的に猛勉強する。しかし、息を抜くとまた遊びに走りそうになる。そんな遊びと勉強の葛藤が脳で起きる。
■私は8月頭にあった全統マーク模試を受けた。少しは成績上がるのではないか・・・甘かった、逆に国語といい物理といい下がっている。英語のリスニングなんか・・・て感じで本当にショックを受けた。コレでいいのか、本当に実力は上がってくるのか・・・その模試が終わった一晩中悩み続けた。ベランダで本当に深刻に考えすぎて、身を投じたくなったくらいだ。そこに母が来て励ましの声をもらった。両親は不仲で口を利かないし、私も父親とはまったく口を利いていない。母が唯一の頼りである。それからいろいろ勉強方法とか考え直した。どうやら穴というところがまったくやっていなくて、そこをやらずに中途半端な分野とかわかっているところをいちいちやっていたように思った。でも穴をずーと埋めることは勉強として楽しくならないし、やる気も出ない、持続しない・・・。となれば穴の埋め方に問題があると考えた。つまり勉強方法や参考書だ。参考書は学校の教材だけですましてきた私だが、ここになって自分に適した、基礎の基礎から鍛え上げるものが必要なことに気付きようやく始めた。まだはじめたばかりなので、実力がついた感はないけど、本質的に楽しく学べる内容なので、うまくやっている。
■なぜこんな時間にこんなことを書こうかと思ったのかは、単に書きたくなったからである。やっぱり精神的にも耐えられなくなりそうな時期というのは来ると思う。そういうときに母に言ったり、こうして書いているのが荒ぶった心を抑えてくれる。
■この時期だからこそ家族に対していろいろ振り返るときも来る。今まで支えてくれたこととか、いろいろ思い出が振り返ってくる。今となっては口を利かなくなった父もあのころは・・・だったなあとか思い出す。なんだかんだあれ、ここまで生きてこられたこと、支えてくれたことに関してはやはり感謝の意を示さなければいけない。どのような形でも良いと思う。行動に起こさなくたって、本気で思っていると家族もわかってくれるはずだ。高校三年生になって母は考え方が変わった。こういうつらい時期だけど凄く前向きでエネルギッシュだ。本もよく読むようになったし、話していてもそのことはよくわかる。
■こうして、このブログというもので思いを述べれてよかった。
■受験生というのは大人への大きなステップを踏むための大きな修行といえる。

2010.12.05 Sunday

今年もわずか

■なんだかんだでtwitterで済ませていたので、4ヶ月ぶりの更新となってしまった。秋を通り越して・・・。
■期末テストも明日で終わって、少しは気が楽になりそうだ。といってももう受験モードに入ってもおかしくないこのごろ・・・来年は高三になり、いよいよ大学受験というものが控えている。いろいろ、ブログやHP、twitterの更新も少なくなっていくかもしれない。
■最近は学校のことを除けば本当に音楽尽くしの日々をすごしている。いや、学校でも音楽があったおかげで何かと顔が広くなってきているかもしれない。音楽友達もできたし、ホントに音楽のことを日々考えたりしている。そうそう、おかげで1月の合唱コンクールには伴奏にも選ばれた。自分のクラスにはピアノが弾ける人は他にもいる。経験も自分が一番未熟であり、しかも独学で、まず考えられなかった展開だ。でも本心はうれしいのもある。だがその分本番のプレッシャーなんかも感じてしまい、なんとも複雑な心境だ。
■今年の秋は修学旅行もあって、非常に感性を養うことができた。広島と京都をまわった。京都の嵐山は2回目になるが、なんとも美しい。町並みもまったく変わっていなかった。それでもやはり感動を与えてくれるのが京都だ。ただ嵯峨野の竹林にいけなかったのは今も悔しい。バスの集合時間の関係で、まわれなかった。初めて行ったときに竹林には行った。あれは本当に気持ちが安らぐ・・・竹に囲まれた林道を歩いていくのだが、差す光、そして涼しいのだ。林道の間にはちょっとしたお店があったりして、本当に落ち着く・・・
■今年の秋は学校と学校の前の公園の紅葉が凄くキレイだった。まず学校の紅葉は正門の両脇に大きな木が数本植えてある。春には桜がなる木だ。春も満開の桜を見せてくれた。秋もそれに等しいくらいのたくさんの葉がオレンジ〜赤に染まっていた。また花壇の湿地は非常に京都を感じさせるような、濃い赤に染まっていた。まわりにコケがあり。次に公園だ。公園はたくさんの木が植えられていて、今は落ち葉が凄いことになってしまっているが、11月の中旬〜はとにかく凄かった。おかげで私の曲作りにも影響を与えてくれた。印象としては北野武監督映画のDollsのような感じだ。下旬になると、葉が散っていき、公園は紅葉の絨毯だった。その絨毯を踏みしめながら、帰宅していた。
■今日、ふとバンジョーとカズーイの大冒険がやりたくなった。なぜか?音楽だ。開発元のレアは数々の名作を残している。この音楽はどんな人が作っているのだろうと思って、英語で「Banjo Kazooie Composer」と検索してみた。そしたら「Grant Kirkhope」というのがたくさん引っかかった。そうあの音楽を作っていた人だ。「グラント・カークホープ」という人だ。レアはイギリスにある彼もイギリス人である。あのいつまでも残る旋律。私は彼を尊敬している。そして凄く世界観がある音楽だ。私から言わせてもらえば、近藤浩治さんくらいの印象を与えてくれた人だともいえる。もっとこの人が活躍の幅を広げていつか日本に来て欲しいと思う。


それでは、ここあたりで・・・(今年最後のブログ更新になると思われる)

2010.07.24 Saturday

■Da・Ma・Shi絵

■このタイトルは久石譲のα-BET-CITYというアルバムからあって今もリメイクされているほど定番名曲であるが、私はこのだまし絵に最近凄くはまっていて、なにがっていうと当然錯覚にハマってしまう。

これ最初見たときあなたは支柱の形をどう捉えましたか?奥行きがあるのですか?それとも円柱型?
面白いですね。見事に後ろの背景と支柱のコンクリートの色がマッチしているんですよこれ!!

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